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  3. 2050年、私たちは本当にコーヒーが飲めなくなるのか? – 未来への一杯を淹れるために –

一杯のコーヒーが、明日も、10年後も、当たり前に存在すると、誰もが信じているのではないでしょうか。私自身も、そうでした。しかし近年、私たちの耳に頻繁に届くようになった「コーヒーの2050年問題」という言葉が、その楽観的な未来に静かな、しかし確実な影を落としています。

「2050年、高品質なコーヒーが飲めなくなるかもしれない」

最初はどこか遠い国の、SF映画のような話に聞こえました。しかし、この問題を知れば知るほど、これは決して絵空事ではなく、私たちコーヒーを愛する者すべてが向き合うべき、現実的な課題なのだと思い知らされます。今日は、一人のコーヒー屋として、この問題について私なりに考察し、そして私たちが未来のために何ができるのか、その想いを綴らせていただきたいと思います。


 

第1章:そもそも「コーヒーの2050年問題」とは何か?

 

まず、この「2050年問題」とは具体的に何を指すのでしょうか。様々な報告がありますが、最も衝撃的なものの一つが**「地球温暖化の進行により、2050年までにコーヒー栽培、特に高品質なアラビカ種の栽培に適した土地が、現在の最大50%にまで減少する」という国際的な研究機関による予測です。

私たちが普段、その繊細な香りや複雑な味わいに感動しているスペシャルティコーヒーのほとんどは、このアラビカ種から作られています。そしてこのアラビカ種は、非常に繊細で、生育環境を厳しく選ぶ作物なのです。

 

女王「アラビカ種」が求める生育環境

 

アラビカ種がその素晴らしい風味を育むためには、いくつかの絶対条件があります。

  • 涼しい高地(クール・ハイランド):標高1,000~2,000mほどの、昼夜の寒暖差が大きい場所でゆっくりと実が熟すことで、良質な酸味や甘みが凝縮されます。
  • 適度な降雨:年間降水量は1,500~2,500mmが理想とされ、開花や結実のサイクルを整えるための乾季と雨季の存在も重要です。
  • 病害虫への脆弱性:「さび病」と呼ばれるカビの一種に極端に弱く、一度蔓延すると農園全体が壊滅的な被害を受けることも少なくありません。

地球温暖化は、この絶妙なバランスを根底から揺るがしています。平均気温の上昇は、これまでアラビカ種の楽園だった場所を、彼らにとって暑すぎる土地へと変えてしまいます。ある研究では、平均気温がわずか0.5℃上昇するだけで、コーヒーの生産性は著しく低下するとさえ言われています。

栽培適地は、より涼しい場所を求めて、さらに標高の高い場所へと追いやられます。しかし、山を登れる高さには限界があります。いつか、コーヒーの木々が逃げる場所はなくなってしまう。これが、2050年問題の最もシンプルで、最も恐ろしい核心部分です。

温暖化だけではない、複合的な危機

 

さらに事態を複雑にしているのは、問題が温暖化だけに留まらない点です。

  • 病害虫の北上と蔓延:気温が上がることで、これまで活動が抑制されていた「さび病」菌や、コーヒーノミシャクガといった害虫が、より標高の高い地域にまで生息域を広げています。実際に中南米の多くの国では、このさび病の大流行により、国の経済を揺るがすほどの大打撃を受けました。丹精込めて育てた木々が、なすすべなく枯れていく光景を目の当たりにする生産者の心痛は、察するに余りあります。
  • 異常気象の頻発:かつてない規模の豪雨が土壌を削り取り、逆に深刻な干ばつがコーヒーの木を枯らす。安定していたはずの気候パターンが崩れ、収穫量の予測が全く立たない。これもまた、生産者を苦しめる深刻な要因となっています。

これらの危機が複雑に絡み合い、コーヒー生産地を持続不可能な状況へと追い込んでいるのです。


 

第2章:私たちの愛するコーヒーが直面している現実

 

では、日本のコーヒーショップという現場で、この問題はどのように感じられるのでしょうか。正直に申し上げて、その影響はすでに顕著に現れています。

 

「あの豆は、もう手に入らないのですか?」

 

この言葉を耳にする機会が明らかに増えました。私が惚れ込み、長年扱ってきた特定の農園の素晴らしいコーヒーが、突然ラインナップから姿を消す。商社に問い合わせると返ってくるのは、「今年は深刻な霜害で…」「干ばつで品質基準を満たす豆がほとんど収穫できなかったのです」といった、胸のふさがるような報告です。

仕入れ価格の高騰も、看過できないレベルに達しています。あくまで私の肌感覚ですが、この5年ほどで高品質なスペシャルティコーヒーの生豆価格は、平均して1.5倍近くになっているのではないでしょうか。為替レートや輸送コストの上昇など様々な要因はありますが、その根底にあるのは、生産量が不安定化・減少している一方で、世界のコーヒー需要は増え続けているという、シンプルな需給バランスの崩壊です。

特に近年は、アジア諸国をはじめとする新興国でのコーヒー消費が爆発的に伸びています。需要は増え続けるのに、供給は先細っていく。この流れが続けば、一杯のコーヒーが今では考えられないような高級品になる未来も、決して非現実的な話ではないのです。

 

一杯のカップの裏にある、生産者の苦悩

 

しかし、私たちが価格高騰に頭を悩ませる以上に、生産国の人々は遥かに深刻な状況に直面しています。

コーヒー豆の国際価格は、ニューヨークやロンドンの商品取引所で決定され、天候不順や投機マネーの流入によって激しく乱高下します。多くのコーヒー生産者は、何世代にもわたって土地を受け継いできた小規模農家です。彼らにとって、収穫量の減少と市場価格の暴落が同時に起これば、それは生活の破綻を意味します。

気候変動に適応するための灌漑設備の導入や、病害虫に強い新品種への植え替えには、多額の投資が必要です。しかし、その日の暮らしさえ厳しい農家にとって、未来への投資はあまりにも重い負担です。

結果として、コーヒー栽培を諦め、より換金性の高い他の作物へ転作したり、あるいは土地を捨てて都市部へ出稼ぎに出たりするケースが後を絶ちません。後継者不足も深刻化し、かつては素晴らしいコーヒーを生み出していた農園が、静かに荒廃していく。

私たちが「今日のコーヒーは格別ですね」と語り合う一杯の裏側で、誰かがコーヒーと共に生きる未来を諦めているかもしれない。その現実は、同じコーヒーを愛する人間として、あまりにも重く、悲しいものです。


 

第3章:絶望から希望へ。未来に向けた世界の取り組みと、私たちの役割

 

ここまで、非常に厳しい現実についてお話ししてきました。では、私たちはただこの状況を嘆き、愛するコーヒーが失われていくのを見ているしかないのでしょうか。

いいえ、決してそんなことはありません。世界中で、多くの人々がこの危機に立ち向かい、未来への希望を繋ぐための懸命な努力を続けています。

 

希望の種を育む「ワールド・コーヒー・リサーチ(WCR)」

 

その中心的な存在が、ワールド・コーヒー・リサーチ(WCR)という国際的な非営利研究機関です。世界中のコーヒー関連企業や研究機関が連携し、気候変動や病害虫に強い、新たなコーヒーの品種開発に取り組んでいます。

彼らのアプローチは、世界各地に残る野生種や既存の栽培品種の遺伝的多様性を活用し、交配によって**「高温や乾燥に強く」「さび病などの病気にも耐性があり」「そして何よりも、素晴らしい風味を持つ」**という次世代の品種を生み出すことです。時間はかかりますが、その研究は着実に進んでおり、すでにいくつかの有望な品種が試験栽培の段階に入っています。これは、コーヒーの未来にとって、まさに希望の光と言えるでしょう。

 

自然と共生する、サステナブルな農法

 

生産現場においても、持続可能な未来を見据えた変革が始まっています。その代表例が「アグロフォレストリー(森林農業)」「シェードグロウン(木陰栽培)」と呼ばれる農法です。

これは、コーヒーの木の周りにバナナやマメ科の植物など、多種多様な樹木(シェードツリー)を一緒に植えることで、森のような環境を作り出す農法です。シェードツリーが強い日差しを和らげ、土壌の温度上昇や乾燥を防ぎます。落ち葉は天然の豊かな腐葉土となり、化学肥料への依存を減らします。そして、多様な動植物が生息する豊かな生態系は、特定の病害虫が大量発生するリスクを低減させてくれるのです。これは、自然の力を借りてコーヒーを育む、古くて新しい知恵と言えます。

 

私たちと、そして皆様にできること

 

では、遠く離れた日本にいる私たちには、何ができるのでしょうか。 それは、「コーヒーの価値を正しく理解し、その価値に見合った適正な対価を支払う」という、日々の選択です。

私が扱うようなスペシャルティコーヒーは、その美味しさだけでなく、「生産国、地域、農園、生産者、栽培方法」といった情報が明確であるという点が特徴です。そしてその多くが、先述したシェードグロウンのように、環境や労働者の生活に配慮したサステナブルな方法で生産されています。

そのため、一般的なコーヒーに比べて価格は少し高くなるかもしれません。しかし、その一杯に支払われた代金が、生産者の生活を支え、彼らが持続可能な農法へ転換するための資金となり、未来の品種を植えるための投資となります。私たちがお客様にお支払いいただく一杯の価格には、コーヒーの未来を守るための費用も含まれている。私は、その価値を丁寧に伝え続けることが、コーヒー屋としての大切な使命だと考えています。

そして、この記事を読んでくださっている皆様にも、ぜひお願いしたいことがあります。それは、「選んで飲む」という意識を持っていただくことです。時々でいいのです、行きつけのお店のマスターに「このコーヒーは、どんな場所で、どんな人たちが作っているのですか?」と尋ねてみてください。その一杯のカップの向こう側にある物語に想いを馳せることで、皆様のコーヒータイムは、きっと今よりも豊かで、意味のあるものになるはずです。


 

第4章:挑戦。日本でコーヒー農園を始めるということ

 

そして最後に、日本でこのコーヒーの課題に向き合う方法のお話をしたいと思います。

「私は、日本でコーヒーの栽培を始めたい」

このように考えて日本でコーヒー農園を始める人も増えてきています。日本の気候で、あの繊細なアラビカ種が本当に育つのか、と。確かに、台風のリスク、冬の寒さ、熱帯の高地に比べれば穏やかな寒暖差など、乗り越えるべき課題は数えきれないほどあります。

しかし、希望がないわけではないのです。気候変動により、世界の栽培適地が少しずつ緯度の高い方へ移動しているという研究もあります。そして現に、沖縄や鹿児島県の奄美群島、東京都の小笠原諸島では、情熱ある先人たちがコーヒー栽培に成功し、国際的にも評価される素晴らしい品質のコーヒーを生み出しています。日本の年間生産量はまだ数トンに過ぎませんが、そのポテンシャルは計り知れません。

だからこそ、挑戦する価値があるのです。

日本の土壌で、日本の水で、この手で育てたコーヒーの木が、純白のジャスミンのような花を咲かせ、やがてルビーのように輝く赤い実をつける。それを想像するだけで、心が震えるような感動を覚えます。

収穫した豆を、自分の店に運び、自らの手で焙煎し、お客様のカップに注ぐ。「これが、私が育てたコーヒーです」。そう言って、最高の一杯をお出しできる日が来る。これほど素晴らしいことがあるでしょうか。

日本の気候風土に適した栽培方法を模索し、コーヒー屋が生産から販売まで一貫して関わることで、サステナビリティにどう貢献できるのかがわかります。そして、この日本という国が、未来の高品質コーヒー産地の一つになり得る可能性を信じたいですね。

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